日本では
「ミシン」――このシンプルな可愛らしい呼び名は、どこからきたのでしょうか。
我が国にはじめてミシンが紹介されたのは、1854年あの黒船を率いたペリー提督が横浜に再来航し、徳川十三代将軍家定に献上された “SEWING MACHINE”でした。
その頃アメリカではようやくミシンが商品化された時期でした。つまりペリー提督は本国でも最新流行の高価な品を、将軍の奥方にプレゼントしたということです。

ジョン・万次郎が持ち帰ったものと同型のミシン
その後、江戸幕府は1860年、咸臨丸艦長の勝海舟のもと、「日米修好通商条約」比すいのため遣米使節をアメリカに送りました。 その時の通訳ジョン万次郎が、帰国時に写真機とミシンを持ち帰りました。
1868年(明治維新)この年の2月未だ慶応年号の頃、幕府開成所の教官であった遠藤辰三郎が「ミシンについての広告」を当時の新聞に掲載しました。広告には、「西洋新式縫物器械、用法伝習並ニ仕立物之事」とあり、「幕府が外国からシウイングマシネ(ミシンのこと)を取り寄せたが使い方がわからず、横浜で外国人から教えてもらったので、この技術を習得したい人は申し出るがよい。ついでに仕立物があれば何でも安く引き受けてあげよう」という広告でした。これをきっかけにミシンは広く人々の知るところとなったのです。
そして明治時代のはじめ頃、英米でSEWING MACHINEと言っていた「マシン」を「ミシン」と発音したのが日本中に広まったといわれています。
明治10年西南戦争の頃、軍服を大量生産する必要にせまられた政府は、これを機にミシンを多量に輸入し、軍服の量産に入りました。さらに明治15年頃から貴婦人の間に夜会服が流行しはじめ、19年には宮中での儀式に女子の洋服着用が認められました。それがきっかけとなり、洋服が庶民にも普及していきました。明治20年、鹿鳴館の舞踏会が行われる頃には、横浜や神戸ではミシンが輸入販売されていました。また、外国人からミシンの使用法・技術を習得し、一般家庭にも拡がっていきました。
現代でもファッションとアパレル機器が密接に関連して発展しているように、当時もファッションの変化と発展がミシンの設備・普及に大きな影響を与えたのでした。
欧米では
1790年、イギリスのトーマス・セントに英国特許1764号として認可されたものが、歴史上、ミシンの構造原理として公式に認められた最も古い記録です。セントの画期的考案が、なぜか特許庁に於いて衣料品部門に分類され、長い年月まったく人々の話題にのぼることなく、英国特許庁の書庫に眠り続けることになりました。
それから83年後の1873年、イギリスのニュートン・ウイルソンという人が、自分の製造品の件で特許庁に調べに行った時、偶然にもセントの発明書類を発見しました。驚いたウイルソンはその考案の記録と図面を調査し、5年の年月をかけて手作りで再現しました。そのレプリカを1878年パリで開催された万国博覧会に出品しました。
しかし、1873年当時には、アメリカでは既に実用化されたミシンの製造技術が英国などヨーロッパに流入し、各国でミシンの生産が量産に向かいつつありました。当時の人々は、セントの考案が83年もの間、書庫で眠り続けていた事実と照らし合わせてみて、なんとも奇異なことだと感じたようです。
1814年にはオーストリア・ウイーンのジョセフ・マディス・ペルガーが、当時ヨーロッパで盛んに行われていた刺繍ステッチを目的とするミシンについての特許を取得しました。前評判が先行し、オーストリア皇帝1世の賞賛を浴びました。しかし実際には、機械の構造そのものが複雑で非効率的で、手作業によってかなりの部分を補わなければ使用できないものでした。そのため表面上の華やかさ、名誉に相反して、彼は経済的にも社会的にも何一つ報いられることはありませんでした。
さらに1839年には先の発明とは異なるミシンを考案しますが、これも実用化するには欠点が多く、世に受け入れられませんでした。こうして彼は1850年に公立養老院で、その生涯を閉じたのでした。
この頃フランスでは1830年に、バーシレミー・シモニアという人が、当時フランスで最も流行していた装飾用タンブール刺繍の機械化に成功し、業務用として実用化しました。1851年の大英博覧会にも出品されました。
一方アメリカでは、1832年にミシンの他にも数多くの発明を行ったウォルター・ハントによって、2本糸によるロック・スティッチが発明されました。しかし、ハント自身が 考案を実用化する気にならず、特許出願権も他に譲渡したため権利化されませんでした。
1846年には天才エリアス・ハウの登場により、今日の本縫ロック・スティッチの源流となるミシンが発明されました。特にシャトル(ボビンケース)とボビンの考案、そして針・糸のタイミングは従来の発想を超えたもので、彼が不出世の天才と謳われた所以です。
1849年、C・プロジェットと協力者A・レローは全回転式ソーイング・マシンの最初の発想を思いつきました。しかし装置に欠点があり、糸がねじれてしまうために実用段階では不評でした。そして、この特許を買い取ったオーソン・フェルプスが、シンガーに改良を依頼しました。こうしてシンガーはミシンと巡り合い、今日まで深く関わることとなったのです。
このようにミシンは200年以上も昔から欧米の人々によって改良が重ねられ、より使いやすいミシンとなって日本に伝わりました。日本でも明治以降ミシンの需要が高まるとともに、独自の技術やアイデアが盛り込まれた日本製のミシンが誕生しました。
今では洋服の縫製に不可欠な存在となっているミシン。これからも私たちの生活に深く関わり合いながら、進化していくことでしょう。
※上記の内容は、社団法人日本縫製機械工業会 「ソーイング・マシンの歴史と発展」から引用いたしました。






